「大人になったんだと思います」とか
「大人になっちゃったねー」というような言葉。
ここ最近、インタビューや、
この間出させてもらった「君のぞらじおを振り返る」の番組などで
さらっと口にしたりしていたんだけどね。
…していたというか、
こぼれたってかんじかも。
それ以外にも、人と話しているときも含めて
ここ1ヶ月間で計3〜4回くらい言ったような気がします。
たぶん、それそれ会話の流れは違ったのですが
その「大人」という言葉が
どの状況にも当てはまっていたから、ということと
実際に大人の年齢だから
ぽろっと出てくる時が自然と多くなってしまうのと、
理由は様々ですが。。
便利でもあり、むずかしい言葉。
年を重ねると、自然になってゆく「大人」。
けど、なかなかそれらしくなれないものですね。
このあいだから
いつもの病院ではない病院で処方された薬を飲んでるんだけど
もらった薬が初めての種類だったので
ネットで調べたりして
いちいち確かめてから飲んでいた私の姿を見て、
お母さんが「あんた、薬は信じて飲まないと効かないよ」
と言いました。
本当にそうだなって思ったよ…
(ていうか、、こうして文字にしてみると
お母さんのセリフが
ちびまる子ちゃんと、まったく同じ口調なのが笑える)
わたしが大人になったと感じるのは
昔よりも、ここ数年
自分がとても慎重になっていると感じるからなのです。。
昔はね、目に見えないものを
わりと信じられたというか、
知らないということは強くもあるんだなって思うんだけど、
根拠のない自信のようなものがあった。
自分は大丈夫って思ってしまってる部分があったと思う。
風邪も「病院の薬を飲めば治る」と思っていたし。
けど、色んなことがあって
大人になってくると
そうも言っていられない。
苦い記憶が、良くも悪くも人をそうさせる。
良いバランスを保ちたいものです。
あまり慎重になりすぎると
何も出来ないままになっちゃうんだろうな、きっと。
…と薬を飲みながら、ふと思って
考えたのでした。
いつもの病院は何度も診てもらったことがあって
体調が悪い時に治ったことや、
その経過が、自分の納得のいく流れだったから
→信じられる。
新しい病院で、いつもと違う診察だったり、
注射をしてくれなかったり、違う薬を処方される。
だから
→効かないかもしれない。
の発想しか、わたしの中になかったんだよね。
いつもの薬より効くかも、、とは微塵も思わなかった。
そこに至るまでには、
色んな理由があると思うんだけど。
慎重になることは大切なことだけど
疑うから慎重になる。
信じることよりも
疑うことのほうが容易いので、人間はそうなりやすいけれど
そうなると、+の想いがどんどん弱くなっていって
良いことも遠ざかっていく気がする。
疑って、準備するという意味では
慎重さは必要だけど
慎重になりすぎると
大事なことを見失ってしまう気がする。
疑うよりも信じられるように、
強くなりたいな。
信じる能力を持っている人は
どんな状況でも強い。
負けたくないな。自分に。。